言葉は時代で変化する。最たるは [全然] である。全然正しい、が市民権を得る勢いだ。一方、誤用の多い  気が置けない は以前から問題とされている。油断ならない、との解釈が自然な解釈だからだ。「文科省の訂正」がほしい」。しかるに、この変な日本語が下記の夏目漱石から来ているなら、訂正の可能性もあり。

あの奥さんは始めて顔を見た時から気が置けない。この部屋へでもずっと這入って来て、どんなにか自然らしく振舞うだろう。何を話そうかと気苦労をするような事はあるまい。話なんぞはしなくても分かっているというような風をするだろう。

ここでの 気の置けない は、必ずしも互いに気が合い、遠慮不要という意味ではない。この奥さんマイペースで話しかけるが、あたしゃ厭だね、とも取れる。つまり、気安さが一方通行ならば、現代解釈こそ誤用となる。明治の文豪作の他作家・学者への影響は半端ない。しかし言葉はウソつかない。この響き50%を越す誤用を招くのは当然だ。それでも、この問題な日本語は、訂正ない限り生き続けるであろう、誤用と共に。