スウェーデンのNATO加盟は「ロシア帝国の落日」 スウェーデンがNATO(北大西洋条約機構)加盟を申請しました。地続きのフィンランドと同時申請です。 これがどれくらい決定的な「ロシア帝国への死刑宣告」であるか、まだ内外で本格的な解説を目にしません。 すでに1989〜91年の冷戦崩壊後、95年の「スウェーデン+フィンランド」スカンジナビア半島中東部のEU入り以降、27年間にわたる積み重ねがあってのことですが、2000年に権力を掌握したウラジーミル・プーチンの行状次第では、このような歴史の動きを作り出す必要はなかった。 特に、スウェーデンのNATO入りには大きな意味があります。 1813年「ライプツィヒの戦い」でプロイセン+オーストリア+ロシア+スウェーデンの対仏大連合がフランスを打ち破った「ナポレオン戦争」以来、「光栄ある孤立」を保ってきたからです。 そしてその総司令官はスウェーデンの「王太子」で、ナポレオン戦争の戦後処理以降、スウェーデンは「中立路線」を堅持し続けてきました。その数奇な運命を本稿では詳しくご説明します。 そのスウェーデンが、欧州軍事同盟に帰参するという、200年来の欧州安全保障地図が塗り替わる事態が起きている。 分かりやすい表現を取りましょう。スウェーデンは日本で考えれば江戸時代「寛政の改革」頃から今日まで、世界戦争に巻き込まれることがなく「武装中立」を堅持してきました。20世紀に全世界を巻き込んだ「第1次」「第2次」の世界大戦、それどころか17世紀半ば最初の世界戦争というべき「クリミア戦争」にも参加していません。(当時その余波のようにして、日本では浦賀に米国のペリー提督が黒船に乗って開国圧力をかけて来ました)
この度のロシアによるウクライナ侵攻は、端的に言うと、設立以来120年の「ノーベル平和賞」の中立性を放棄するくらい、欧州のみならず世界の安全保障バランスを考える上で大きな出来事が起きたことになります。そういう「世界地図の抜本的塗り替え」に直結する失態をプーチンは犯してしまったと言った方が、より分かりやすいかもしれません。 実際、スウェーデン+フィンランドのNATO入りは、前述の通りロシア帝国への「死刑宣告」と記しても、決して大げさではありません。 ■ 「ヒトラーユダヤ人説」のラブロフ退場 失態といえば、軍事に負けず劣らず大失態だったのがロシア外交筋。 この歴史的な変化に当たって、抗議の一言すら「ヒトラーユダヤ人発言」のラブロフは発言させてもらえていません。 代わりに登場してきたのは外務次官のセルゲイ・リャプコフ。 強面のラブロフと違いよりスマートなディプロマットであるリャプコフはナンバー2ですが、ラブロフと同年で今年72歳。 スウェーデンとフィンランドのNATO加盟は「広範囲に及ぶ影響を伴う重大な過ち」であり「相応の措置を講じる」と、ロシア側としてはお決まりの「抗議」。 この場にラブロフは登場を許されなかった。 リャプコフ外務次官曰く「軍事的緊張のレベルが総じて高まるだろう」「現状で何がなされるべきかについて、常識が思い違いの犠牲になっているのは遺憾だ」と。 いや、これは「常識」と「思い違い」があべこべでしょう。 ロシアで「常識」と思われているものが単に世界から見れば「思い違い」だというだけのことなのだから。 ロシアが崖っぷちでさらに愚かな行動をとるリスク、さらに言えばそれを抑え込める勝算まで持ったうえでスウェーデン+フィンランドはNATO加盟の申請を同時に提出しました。 実際、スウェーデンのNATO加盟が発表された5月16日以降、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領からの投降命令で、アゾフスタリ製鉄所に立てこもっていた将兵は武装解除に応じています。 もうマリウポリを命がけで守らなくても、スカンジナビアNATOの軍事的背景をもってドンバスは取り返すことが可能という、余裕ある鉾の収め方と見ることも可能でしょう。 2022年5月18日はロシアに実質的な余命勧告のカウントダウンが始まる日付となったようなものです。 どうやらラブロフは5月1日をもって実質的に退場することになったようですが、自業自得としか言いようがありません。 ■ 「フランス平民」を王に迎えたスウェーデン ところで皆さん。スウェーデンといえば北欧も最たるもので、長身金髪のゲルマン民族が暮らす国の筈です。 ところが「スウェーデン王室」の写真(https://www.ellegirl.jp/celeb/g37423424/all-about-sweden-royal-family-21-0831/)を見てみると・・・意外にも金髪は小さな子供たちだけで、大人は大半が赤や褐色の髪の色をしています。なぜなのか。 それもそのはず、現在のスウェーデン王室「ポンテコルヴォ朝」はフランスの弁護士の息子が始祖で、5代後になって旧王室の血が再び混ざりますが、その旧王室は「ホルシュタイン=ゴットルプ家」というドイツ貴族。 つまり、現在のスウェーデン王家はフランス平民にドイツ貴族の旧王室が混ざった「外人王朝」にほかなりません。 ジャン・バティスト・ベルナドット(1763-1844)は1780年、父の逝去に伴ってフランス海軍に入隊、フランス革命期に叩き上げの青年将校として部下の統率に優れ、やがて6歳年少のナポレオン・ボナパルト(1769-1821)と出会い、一方では縁戚となり、他方ライバルとして対立関係も深めていきます。 やがて1810年、ボナパルト家とつながりのある「ポンテコルヴォ大公」ベルナドットは、スウェーデン議会から「王太子」に選ばれます。 同時に「カール・ヨハン」として、摂政として国政を牽引するカリスマを発揮、最終的には対仏大同盟「解放戦争」の総司令官として、親戚でもありライバルでもあったナポレオンをフランス帝位から追い落とす主力となりました。 スカンジナビア半島西側の統一を成し遂げ、救国の英雄として人気を集めます。 ナポレオンを追放してパリ入城した「カール・ヨハン」は、祖国フランスと自ら統治するスウェーデン間の宥和を図って軍事的には中立を堅持。 これがスウェーデン「中立路線」の原点となります。同時にスウェーデンが失ったものもありました。「フィンランド」です。 ■ ナポレオンがロシアにフィンランドを“売る” いま、どうでもいいオリガルヒやシロヴィキの思惑でウクライナ大衆がいとも簡単に生活を破壊され命まで奪われる状況は、こうした19世紀初頭の非人間性とほとんど変わりがないと言えるかもしれません。 つまり2022年のスウェーデン+フィンランドのNATO加盟は、1807〜09年ナポレオンの軽口でロシアに売られたフィンランドが、200年の恩讐の彼方で、またナポレオンの親戚でありライバルだったフランス人スウェーデン王「カール・ヨハン」が選んだ中立政策がついに放棄され、欧州パワーバランスの地図が完全に塗り替えられたことをはっきりと示しているわけです。 ■ スウェーデンは第1次・第2次世界大戦をなぜ中立で貫けたのか? ナポレオンの欧州覇権にとどめを刺したフランス軍人ジャン・パティスト・ベルナドットはスウェーデン国王カール14世ヨハンとして1818年に即位。 1844年に81歳で生涯を閉じます。彼の子孫はその後200年間、戦争とも革命とも無縁で同一家系の立憲君主制王朝を維持し続けています。 ではなぜ、スウェーデンはそのような安定を手にすることができたのか? 一つの答えは、カール14世の晩年である1833年にストックホルムで生を受けたアルフレッド・ノーベルの人生を見れば自明です。いまでこそ「ノーベル賞」で名高いアルフレッド・ノーベルですが、彼はダイナマイトの発明者であり、欧州最大の兵器産業トップとして巨万の富を蓄財。 パリを中心に活動し、ビジネスは全欧州は言うに及ばず、ウクライナより東のカスピ海沿岸、アゼルバイジャンのバクーでの「ノーベル兄弟石油商会」設立(1878)と、旧世界を股にかける巨大な「武器商」でした。 つまり「19世紀最悪の死の商人」として、ノーベルの名は轟き渡っていたわけです。 スウェーデンが激動の19〜20世紀、平和中立を保つことができた大きな理由の一つは「軍事ビジネス」を握っていたことでしょう。 しばしば文字面だけでは「武装中立」と表記されますが、端的に言って、ヒトラーもスターリンも武器弾薬が必要なわけです。 スウェーデンと正面から喧嘩して、武器を売ってもらえなくなったら戦争ができません。 ナポレオンが国内で政敵を圧迫したときも、ヒトラーがユダヤ人を迫害したときも、スウェーデンは常に難民に広い門戸を開放、優れた人材を国内で活躍させ、領内にはいかなる敵も入れなかった。 そもそもスウェーデンは、カトリックのフランスで活躍しにくかったルネ・デカルトを招聘、デカルトはストックホルムで客死しており、優れた文物の吸収で大きくなった国でもありました。 フランス革命、ナポレオン戦争から帝国主義分割〜世界大戦の200余年、国土を侵されることがなかった。 そのスウェーデンが、かつてナポレオンのためにロシアに取られたフィンランドと共にNATO加盟=欧州軍勢一枚板とは何を意味するのか? かつて1945年以降、米ソ冷戦たけなわの時期も、スウェーデンは決して中立政策を放棄することはありませんでした。 つまり「核」が開発されても、TNT火薬ベースの戦争が終わることは決してなかった。 「中立」のスウェーデンは「ノーベル賞」の胴元として、また世界平和の審判員として、ノルウェーとともにノーベル平和賞を授与。 つまり、「世界平和の格付け機関」としてニュートラルなスタンスを決して崩すことがなかった。 しかし「1995年」、IT革命の年にスウェーデンもフィンランドもEUに加盟、今日に至るスタートラインが切られます。 つまり、大味な核兵器で、世界史は変わらなかった。そうではない。AIドローンなど繊細を究めた情報兵器、高度自律システムによる無人軍事力がTNT火薬ベースの軍艦や戦車を自爆に追い込む、現下のウクライナ戦争で、初めて歴史のスイッチは動いた。 この戦争は、全くもって「自由主義対全体主義」とか「文明の衝突」とかいった懐古趣味の錦の御旗で色分けされるものではありません。 冷徹なテクノロジー、イノベーションの世代交代が、本格的に「アルフレッド・ノーベルの時代」の終焉を告げている。 それはほかならず、遅まきながらの「ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ王朝」ロシア帝国の、完全なる落日を意味していることは、自ら搭載したノーベル以来の「火薬」爆発で焼け焦げた、ロシアの旧式戦車の残骸が、何よりも雄弁に示している。 ここから日本の進むべき一本道が、はっきり見えています。 旧式マッチョな贅肉武力を抱え込むのではなく、本当に鋭い世界の知の座として、何者の侵攻も許さない「価値創造立国」。 世界は戦争で動き始めました。知恵と叡智を具備する先進国として、日本が紛争第三極の地位を堅持できるとすれば、叡智による以外、ほかに途はありません。 岸田文雄政権の「新しい資本主義」が、(を掲げるならば)そのような方向に舵を取ることを強く期待する次第です。 |
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